【三重・関】東海道 関宿を歩く -2019.GW 大阪発大阪行 長い切符で行く旅行 3日目①-2
こんにちは、たのおかです!
2019年5月 GW後半戦、「大阪発大阪行 長い切符で行く旅行」です。
3日目は名古屋から出発、関西本線で西を目指します。
江戸時代には東海道の宿場だった関宿を実際に歩きます。
前回記事で関宿の解説をしています。
それではどうぞご覧ください。
関宿へ到着
関駅から10分程度歩くと昔ながらの風情を感じさせる街並みが見えてきます。
重要歴史的建造物群保存地区にも登録されている、関宿の街並みです。
東海道五十三次の47番目の宿場です。
こういった標識、いいですよね。
上の標識は前後の宿場を、下の標識は追分が東西にあることを示しています。
追分とは、道の分岐点、特にここでは大きな街道の分岐点を指していると思われます。
西追分へ向かって歩く
まずは西の追分を目指して歩いてみます。
道中の様子をご紹介。
株式会社塩野義”商店”特約。”製薬”になる前の看板です。
塩野義製薬は大阪道修町(=薬屋が集まっている町。今でもそうです)に始まる薬屋さんの老舗ですね。
関地蔵院
途中にある休憩所。
畳が気持ちよくて寝転んでいます。
この後、西追分まで行ったはずですが、写真がありません…。
というわけで、引き返してきます。
ちなみに西追分では東海道と大和・伊賀街道が、東追分では東海道と伊勢別街道が分かれています。
関宿の銘菓を食べる
今回頂いたのは前田屋製菓さんの「志ら玉」です。
あっさりとした甘さでおいしい。
見た目もかわいらしいですね。
他に有名なものとして深川屋さんの「関の戸」なる銘菓があります。
織田信孝の菩提寺、福蔵寺へ
織田信孝は織田信長の三男だそうです。
信長のシェフで出てきたかも。
関宿 旅籠玉屋 歴史資料館を見学
かつては旅籠として営業していた玉屋さんですが、現在は内部を歴史資料館として見学できるようにされています。
旅籠というのは宿の種類を表す言葉で、格の高い方から
本陣・脇本陣→大名・公家・幕府の役人クラスの人が利用
旅籠→武士や一般庶民が利用
木賃宿→貧しい人が利用
という風になっています。
先ほど追分の説明をしたときに触れましたが、この関宿は東海道の宿場であると同時に、伊勢別街道の出発点でもあります。
江戸時代、伊勢参りは人々にとって大人気の旅行先だったため、この関宿も伊勢参りに向かう人で賑わったことは想像に難くありません。
そんな関宿にはこんな言葉があるそうです。
「関で泊まるなら鶴屋か玉屋、まだも泊まるなら会津屋か」
ここ分かるように、この玉屋さんはかなり人気の宿泊先だったようです。
中庭を拝見。
立派なものです。
こちらは玉屋さんの中で最も格の高い部屋だそうです。
偉いお侍さんが泊まる部屋、といったところでしょうか。
関まちなみ資料館を見学
先ほど訪れた歴史資料館の入場券でこちらの施設も見学できます。
こちらは一般的な町屋が利用されており、関の街並みの移り変わりが写真展示されています。
この階段箪笥が印象的でした。
実際にこの上を昇って二階に行くことができます。
東追分に向かって歩く
西半分の見学が終わりました。
もう東半分も全部見たいところですが、次の列車の時間の都合もあり、東追分にはたどり着かず。
また道中の風景をご紹介します。
またまた老舗の多木化学の看板。
こちら側には関神社がありました。
今回は去り際になってしまいましたが、新しい土地に来たらとりあえず神社に参ってご挨拶することにしています。
まとめ
歴史的な勉強ができるだけでなく、きれいなカフェもあったようで、なかなか魅力的な スポットだと思いました。
私自身、街道と重伝建のような街並みがどうも好きなようです。
古い町並み自体も好きですが、このような道や街ができた背景などとても興味深く思います。
お伊勢参りもぜひ行きたいですね。その他にも三重県には多くの見どころがありそうです。
この後は列車に乗り込み、次の目的地を目指します。
今回はここまで。
旅は続きます。
次回記事はこちら
シリーズ最初の記事はこちら。