【福井・三国】越前海岸ウォーク 三国縁の詩人たちに出会う -2019.06 また北陸へ行ってきました 1日目③
こんにちは、たのおかです!
2019年6月、また北陸に旅行してきました。
今回はえちぜん鉄道三国港駅から海岸沿いを歩いて東尋坊を目指します。
途中で三国に縁ある詩人の足跡に出会いました。
それではどうぞご覧ください。
三国港町並み散策
三国を出たところです。
目標は東尋坊なのでこの詳しく見ていくことはできませんが、ひとまず三国港町並み散策と書かれてある方向に歩いてみます。
地元の魚屋さん。
建物といい、サンシェード? というのかな。の文字も味わい深いですね。
私は港町の出身ではありませんが懐かしい感じがします。
おとと。
今度来たときはこのあたりで魚料理を食べてみたい気がします。
また、このあたりは三国温泉が湧いており、温泉宿を多く見かけました。
どうしても芦原温泉が有名でそちらに客足も向かいがちという印象ですが、この地もなかなか興味深いものですね。
白山神社がありました。石川県に限らず北陸にはこの白山神社が点在しています。
三国縁の詩人1:高見順
歩いている途中、こんなものを見つけました。
高見順は昭和を代表する詩人、小説家。
生まれがこの地、三国町ということでパネルが展示されていました。
上半分に書かれているのはしたためられているのは「荒磯(ありそ)」の詩です。
高見順はその出生・生い立ちはなんらかの事情で祝福されるものではなく、そのため故郷である三国、あるいは荒磯を黙殺し、長年の間背を向け続けてきました。しかし晩年になってようやく、故郷と自身の繋がりに向き合うことができるようになり、そこから生じた心情が結晶したのがこの「荒磯」という詩である、そんな風に読み取れます。
この詩をはじめ、高見順の詩は悲しみ、苦しみに満ちているもの、死の匂いを濃厚に感じさせるものが多いように感じます。人里から遠ざかった土地というのは、死というものをなんとなしに思わせるところがあるように思っています。特にここ北陸や山陰地方ではそれを顕著に感じます。志賀直哉の「城の崎にて」(兵庫県北部の城崎温泉が舞台)においても共通したものがあるように思えます。
※念のためフォローを入れておくと、東尋坊は自殺の名所として知られていますが、そのことと結びつける意図はありません。また東尋坊はじめ三国港周辺や城崎温泉は観光客で賑わっていて、陰気な雰囲気でいっぱい、ということもありません! 天気は悪いことが多いですけどね!
せっかくなので高見順の詩をもう一つご紹介してみましょう。
虹
ひとびとの
悲しいおもいが
昇天して虹になる
悲しみが美しく
天を飾るのだ
天を飾るのだあるとき僕は
それを知ったのだ
僕の悲しみに
虹が呼びかけたのだ
早くおいで ここへとだがまたあるとき
僕の悲しみは
天へ昇るまえに
僕の心のなかで
早くも虹になっていたひとびとの
悲しいおもいが
昇天して虹になる
悲しみが美しく
天を飾るのだ
天を飾るのだ
ね、いいでしょ。
この詩も悲しみというものがテーマになっていますが、非常に澄明で軽やかだと思います。
荒磯遊歩道へ
東尋坊まではこのように遊歩道になっており、日本海の眺めを堪能できます。
路面は歩きやすいものの植物が鬱蒼と茂っており、ちょっと不気味な雰囲気です。
6月梅雨の最中ということもあり、湿度が高く、汗が服ににじみ、皮膚に張り付いてなかなか不快です。
海から漂ってくる潮の匂いと、植物から放たれる匂いが混然となって漂っています。
これはあくまで私の印象ですが、日本海側の土地の植物が放つ匂いって何か独特な気がします。湿度の高さが関連しているのか、そういえばドクダミが生えてたな。
ほかに歩いている人がいないので不安になります。時々こういった標識があるので迷う心配はないのですが。
藻取浜製塩遺跡へ
製塩遺跡の方に降りてみました。藻取浜製塩遺跡というそうです。
この岩場に海藻を並べ、そこに海水を掛け、蒸発させることを繰り返すことで海水を濃縮し、かん水を得ます。そのかん水を製塩土器に入れ、さらに煮詰めて塩を得ていたということです。そのときに用いられた製塩土器片がこの遺跡からは多数見つかっています。古代(古墳~平安時代)のものだそうです。
三国縁の詩人2:三好達治
三国縁の詩人2人目のご紹介、三好達治です。
高見順と同じく昭和を代表する詩人です。
生まれは大阪市ですが、この地で5年間暮らし、”心の故郷”と表現するほど愛したそうです。
春の岬
春の岬 旅のをはりの鷗どり
浮きつつ遠くなりにけるかも
解説パネルもどこかにあったのかもしれませんが、見逃したかな。
もしくは「ふるさと文学館」を訪れると詳しいでしょうね。
三好達治といえば、私の場合はこの詩かな。
鴎
ついに自由は彼らのものだ
彼ら空で恋をして
雲を彼らの臥所とする
ついに自由は彼らのものだついに自由は彼らのものだ
太陽を東の壁にかけ
海が夜明けの食堂だ
ついに自由は彼らのものだついに自由は彼らのものだ
太陽を西の窓にかけ
海が日暮れの舞踏室だ
ついに自由は彼らのものだついに自由は彼らのものだ
彼ら自身が彼らの故郷
彼ら自身が彼らの墳墓
ついに自由は彼らのものだついに自由は彼らのものだ
一つの星をすみかとし
一つの言葉でことたりる
ついに自由は彼らのものだついに自由は彼らのものだ
朝やけを朝の歌とし
夕やけを夕べの歌とす
ついに自由は彼らのものだ
この詩が収められているのは詩集「砂の砦」で出版年は1946年。ちょうど三国に住んでいた時期と重なるので、ここで出てくる海は日本海の情景なのかもしれません。そうか、詩の解放感から太平洋をイメージしていました。それはそれで悪くないとは思いますけどね。
参考:
三好達治を訪ねて<福井県・まちかど県政> | GEN - 日本の魅力を世界に発信
三好達治 - Wikipedia
今回はここまで。
旅は続きます。
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