【兵庫】丹波篠山の重伝建"篠山の城下町"後編 約1時間! 忙しい人のための観光プラン
こんにちは、たのおかです!
今回は兵庫県、丹波篠山にやってまいりました。目的地は重伝建”篠山の城下町”。今回は後編です。
電車の都合により大急ぎでの観光。制限時間は往復の移動時間を差し引くと約1時間。果たして間に合うのか? 前回に引き続きレンタサイクルで廻っていきます!
それではどうぞご覧ください。
"篠山の城下町”を散策
里山の風情は"ザ・日本の田舎の夏"
到着しましたのでまずは早速散策していきたいと思います。
篠山は周囲を美しく豊かな山々が囲み、街には懐かしい風情が残っています。自然と人々の暮らしが融合した里山の風景は、現代では憧れの対象にもなりうるような、”ザ・日本の田舎の夏”といった趣で、歩くだけでも楽しめます。
寺社仏閣も立派なものが多いようです。
洋風な佇まいも。
篠山の名物・猪肉…のデザインを堪能
丹波篠山はの名物は山の幸。有名な丹波の黒豆を筆頭に栗や山の芋、松茸。そして何と言っても猪肉です。
街を歩けば至るところに猪をモチーフにしたデザインが見られます。
ふさふさ。
牡丹鍋も良く知られています。…が時間の都合上、今回はお預け。またいずれ来るぞ!
明治創業の老舗! "小西のパン"で黒豆パンを購入して食べる
上品な香ばしさとコクのある逸品
お昼ごはんがまだですが時間はありません。そこで素早く食べられるものを探していて見つけたのがこちらのお店。"小西のパン"です。
いかにも老舗といった佇まい。
こちらで黒豆パンを購入。観光を終えたあと電車でいただきました。
ご覧いただくと分かる通り、黒豆が非常に大粒です。香ばしさと非常に豊かなコクが感じられる逸品でした。
"小西のパン"へのアクセス
お店の場所はこちら。篠山城下街の中にありますので観光の際には手軽に立ち寄ることができると思います。
日本100名城・篠山城を探検
お次は篠山城に到着しました。別名を桐が城と言い、1609年すなわち関ケ原の後、西国大名の抑えとするため徳川家康によって築城されました。京都・山陰・山陽を結ぶ交通の要衝である篠山盆地に場所を定めています。
築城の名手・藤堂高虎による強固な城郭
見事な高石垣です。道が大きく曲がっていて見通しが悪くなっており、防御力が高そうです。迫力もかなりのもの。
こちらは内堀。
黒鉄門(くろがねもん)。
当時の縄張り(=間取り)をうかがい知ることができます。
こちらは堀の外側になりますが、馬出(うまだし)の跡。城を守る際の拠点となるものです。これも篠山城の堅牢さの理由の一つ。
城内の施設① 歴代藩主の事務所? 大書院
大書院(おおしょいん)は歴代藩主による公式行事に使用された場所です。篠山城築城の際、京都二条城の御殿を参考に建てられたそうです。廃城令後も残されましたが、一度消失。その後平成12年に再建されました。内部も見学できたようですが時間の都合上割愛。
城内の施設② 学問と教育の神さま 青山神社
篠山城主であった青山家。第十代の名君忠俊(ただとし)、第十八代の忠裕(ただやす)を祭神として祀っています。忠俊は徳川三代将軍・家光の幼少期の養育係。忠裕も幕府の要職を務めた名君でした。
こちらは青山忠誠(ただしげ)公頌徳碑。学舎を建て、福沢諭吉に図って教師を招くなど、篠山の地に教育の礎を築きました。それら数々の功績を称えています。
神社の境内はいい感じの眺めになっています。
天守台に登って景色を楽しむ
いよいよ篠山城もクライマックス。天守台へ登ります。
篠山城はその作りが強固すぎたため、そのことを理由に天守閣は築かれませんでした。幕府にとって脅威となる恐れがあったためです。作れと命令したのは家康なのに矛盾した感じですが、「思ってたよりすごい城ができちゃったぞ」といった感じでしょうか。
丹波富士と呼ばれる"高城山"を臨む景色です。
重伝建の一角、御徒町武家屋敷群を見物
重伝建"篠山の城下町"を構成するのは"篠山城"と今回は回れなかった"河原町妻入商家群"、そしてここ"御徒町武家屋敷群(おかちまちぶけやしきぐん)"です。
篠山城の築城と同時期にお供の武士が住んだのが始まり。江戸時代の武家屋敷が現存しています。
まとめ 是非また来たい丹波篠山
約1時間、ザーッと駆け足(自転車ですが)で一通り観光を終え、なんとか駅まで戻ってくることができました。
丹波篠山は想像していた以上に素敵なところでした。が、見逃したものもたくさんありますし、牡丹鍋も食べていません。もっとじっくり過ごしたかったのが正直なところ。それでも魅力的な場所をたくさん知るきっかけとなったのは大きな収穫です。
是非再訪したいと思いました。今度は食べ物がおいしい秋なんかどうでしょうか。紅葉にも期待できそうです!
今回はここまで。それではまた次回!