【石川・加賀温泉】緑がいっぱい! 山中温泉を散策 -2019.06 また北陸へ行ってきました 3日目①
こんにちは、たのおかです!
2019年6月、また北陸に旅行してきました。
今回から3日目。加賀温泉の一角、山中温泉にてのんびりと過ごしました。
それではどうぞご覧ください。
宿泊は”たわらや”さんで!
”たわらや”さんご紹介
今回は山中温泉で800年続く老舗旅館、”たわらや”さんに宿泊しました。すぐ裏手には名勝・鶴仙渓が位置しており、部屋やロビーからいつでも絶景を楽しむことができるすばらしい立地となっています。
また山中温泉の中心部にも近く、散策の拠点としてもグッド。
鉄道を利用してアクセスする場合、事前に時間を伝えておけば加賀温泉駅まで送迎をしてもらえます。
食事がハイクオリティ!
食事のクオリティが高く、非常に印象に残っています。朝食をご紹介。
ビュッフェ形式。色とりどりの豊富なメニューが魅力的です。もちろん地元でとれた魚、野菜がふんだんに使われています。どれもおいしいかったです!
写真を撮り忘れてしまいましたが、夕食はお刺身もビュッフェで取り放題でした。これは感動。
貸切風呂、卓球もできます!
追加料金で貸切風呂を利用することもできます。気兼ねなくのんびり温泉に浸かるのはいかがでしょうか? 貸切風呂、共用の浴場ともに鶴仙渓を眺めることができる露天風呂を備えています。朝風呂が気持ちよさそう! ですが今回、朝は寝過ごしてしまいましたが…。
また卓球台を利用することができます。30分で…300円くらいだったかしら? 記憶がおぼろげですが確かそんなに高くなかったはずです。お金は少し掛かりますがこちらも気兼ねなくのびのびと利用できますのでおススメです。ちなみにラバーはツルツルなので豆腐も切れません。
”無限庵”を訪問
山中温泉では名勝・鶴仙渓をはじめ、総湯・菊の湯や芭蕉の館などを訪れました。見どころに事欠かない山中温泉ですが、”無限庵”もまたすばらしかったです。
”無限庵”について少々説明。
無限庵は金沢より移築した建物である。それは元家老横山家の分家横山章(横山家13代隆平の弟隆興の子)が、金沢市内高岡町にあった邸内に建てた書院であった。
子息の婚儀に際し設けたものと伝えられ、当時から「新御殿」と呼ばれていたという。明治末期の建築といわれ、この地方における当時の木造技術の粋を傾けた最高級の普請であったと今も関係者の間では、語り伝えられている。その華麗な遺構は横山家の盛時を偲ばせる。成巽閣(重文・金沢)に見るような武家邸宅書院の伝統を継承する近代の書院造として貴重な遺構と言わねばならない。
”無限庵”建物編
写真をいくつかご紹介します。内部の写真は撮ってませんでした。撮影不可だったのか、可能だけど忘れていただけなのか?? 建物の外観から雰囲気だけでも感じ取っていただければと思います…。
このドラを鳴らすと係の人が来てくれます。なかなか無い体験。
”無限庵”庭園編
今度は庭園の写真です。渓流と木々がマッチした風流な景色が素敵。
奥に見えるのは茶室”静清庵”。マッカーサー元帥ご夫妻が日本において茶の湯を味わった茶席なんだとか。
山深い地でアルミ製の”しらさぎ”に出会う
ちょっと時間を持て余して散歩に出てみました。温泉街を抜けて栢野大杉(かやのおおすぎ)の方面へ歩いてゆきます。思いのほか遠かったので結局たどり着けずに引き返したのですが(バスで行かれることをお勧めします。)、途中、道の駅「山中温泉 ゆけむり健康村」にてこんなものを発見。
こんな場所に鉄道車両が…? これは日本初のアルミ車体の電車”しらさぎ”号だそうです。製造は昭和38年。旧北陸鉄道加南線の山中温泉~大聖寺駅間を運行していたそうです。こんなに山深い地域にまで鉄道が通っていたなんで! とても驚きましたが、北陸鉄道加南線について調べてみてさらに驚き。ウィキペディアの記事をご参照ください。
なんと加賀温泉郷の4つの温泉街をかつてはすべて鉄道で結んでいたというのです! これはすごいことだと思います。現在では全線が廃止され、各温泉街へは加賀温泉駅(粟津温泉へは粟津駅)から路線バスや旅館の送迎へとアクセス方法は移行しています。
ここに保管されている車両は、いったん静岡の大井川鉄道へ移管された後、再びこの山中温泉の地に里帰りしたものだそうです。車内には大井川鉄道だったころの名残が散見されました。運賃表に千頭の文字が見られたり。
ことのついでに触れておくと、大井川鉄道にはSLが走ったり、アプト式だったり、ダム湖の上に駅があったりするオモシロ路線です。まだ行ったことはないので是非行きたいな。
長谷部神社を訪問
温泉街まで戻ってきました。そこで見つけたのが”長谷部神社”。ご祭神は長谷部信連。鎌倉幕府に山中の地頭だった人物です。山中温泉は行基(奈良時代に活躍した僧)によって開かれましたが、戦によって次第に荒廃していきました。そんな中、山中温泉の復興を成し遂げたのが長谷部信連というわけです。
扁額(へんがく=四角いやつ)も立派。
境内では斜めに走る参道が独特の奥行きを醸し出しています。
緑が多くて心癒される雰囲気でした。
今回はここまで。
それではまた次回!
次回の記事はこちら。
前回の記事はこちら